Share

第41話 その質問は、誰のためですか①

Penulis: 花柳響
last update Tanggal publikasi: 2026-06-27 06:00:41

 ナイフの刃に映った光は、細く、冷たかった。

 グラスの中の水面が、ナイフの光を細く返した。

 未央の声が落ちたあと、テーブルの上の空気だけが固まったように感じた。弦楽器の音は続いている。司会者の声も、会場の奥ではまだ誰かの紹介をしている。けれど、私たちの周りだけ、少し遅れて別の時間になった。

 未央は笑っていた。

 三年前、父の前で額を押さえていた時と同じ顔。痛がるふりをする前の、ほんの一瞬の顔だ。

「三年前のこと、もう誤解は解けたの?」

 近くの席の視線がこちらへ向く。

 榊財団の理事の女性が、手にしていたグラスを静かにテーブルへ置いた。司は未央の腕を掴みかけて、やめる。遅い。いつも、少しだけ遅い。

 私は膝の上のナプキンを指で押さえた。

 布は乾いているのに、指先だけが湿っている。

「何の話でしょうか」

 自分でも意外なほど、声は平らだった。

 未央の眉が、わずかに跳ねる。

「忘れたの? お姉――いえ、朝霧さん。三年前、如月家で起きたことよ。会社
Lanjutkan membaca buku ini secara gratis
Pindai kode untuk mengunduh Aplikasi
Bab Terkunci

Bab terbaru

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第204話 消された生存記録

     それだけ言って、私は視線を戻した。 握っていた手を緩めると、律の指が名残惜しそうに離れた。私は膝の上で、自分の指先をそっと包んだ。 榊邸に着く頃には、夕方の光が庭の端に傾いていた。 書斎には、高瀬さんと情報管理部の主任がすでに来ていた。テーブルの上に、青嶺療養院の登記簿、運営会社の概要、KMSとの取引履歴の一覧が並んでいる。 どれも、医療記録ではない。 公開情報と、契約上取得できる範囲の資料。そこを高瀬さんが何度も確認した。「こちらから出すのは、面会申入れ書と記録保全通知です」 高瀬さんが説明する。「対象者の氏名は、現時点では九条葵さんとは書けません。葛城氏から提供された旧管理番号と、KMSの支払記録上の識別コードで照会します。回答を拒否される可能性は高いです」「拒否されたら」「拒否理由を文書で求めます。電話だけで終わらせません」 声は淡々としていた。 その淡々さに救われた。 私は頷いた。机の上の照会文は、まだ一枚目だった。「その照会まで進めてください」 その時、情報管理部の主任の端末が短く鳴った。 彼は画面を見て、眉をひそめた。「青嶺療養院の警備システム、外部委託先が判明しました。榊グループとは直接契約がありませんが、保守会社がうちの取引先と同じ系列です。契約上開示可能な範囲で、障害受付番号と発生時刻だけなら照会できます」「障害情報?」 私は聞き返した。「監視カメラや入退館管理に不具合が出た場合、保守会社側に時刻と機器番号だけが残ります。映像の中身は見られません」「中身じゃなく、壊れた時間だけ」「その時刻だけです」 主任は保守会社の担当窓口へ照会を投げた。返答が戻るまで、部屋の時計の秒針だけが妙に大きく聞こえた。 十分ほど後、一次回答として、無機質な一覧が送られてきた。機器番号、施設名、発生時刻、復旧時刻、受付番号。 青嶺療養院。 今日の午後三時十二分。 正面玄関カメラ、東棟廊下カメラ、家族面談室前カメラ。 三つの欄に、同じ時

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第203話 先回りしないでください

    「どうして、私が肖像画を見たと分かるんですか」『分かりません。ただ、彼ならそう考える』 車窓を流れる街路樹の影が、シートの上を横切った。 見ていたわけではない。 でも、康生という人間の動きを、葛城は読み慣れている。 その事実も、気持ちが悪かった。「青嶺療養院に、こちらから正式な照会を入れます」 高瀬さんの声が、回線に入った。「ただし、朝霧さんは現時点で法的な親族確認が取れていません。医療情報の開示は求められません。できるのは、面会申入れと、施設利用者の安全確認、記録保全の要請までです」「それでお願いします」 私はすぐに言った。 葵さんが本当にそこにいても、いきなり病室まで行けるわけではない。もし本人に「会いたくない」と言われたら、それまでだ。 その考えだけで、喉が詰まった。「本人に会えるかどうか、正式な手続きで確認してください」 言い終えると、回線の向こうでキーボードを打つ音がした。高瀬さんが、もう文面を作り始めているらしい。前席では相良さんが施設名を検索していた。『それがいい』 葛城が言った。 その声に、安堵の色が混ざった気がして、私は眉を寄せた。「あなたに、いいと言われる筋合いはありません」『そうですね』 やはり、葛城は怒らない。 怒られないぶん、どこまで届いているのか分からない。 通話を終えると、車内が急に静かになった。 高瀬さんは榊邸で合流することになり、青嶺療養院への照会文を先に作成するという。相良さんはすでに、別の端末で施設の登記情報と運営会社を確認していた。 皆が動いている。 なのに、私は窓の外の景色を見たまま、しばらく何もできなかった。 葵は生きているかもしれない。 母かもしれない人が、どこかの療養院で、外からの声を遮られているかもしれない。 喜びは来なかった。 代わりに、ひどく重たいものが胸の奥に沈んだ。「朝霧さん」 律が言った。「……証

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第202話 動き始めた康生

     その返事で、やっとわずかに背筋が伸びた。 車は次の信号を曲がり、大通りへ出た。 榊邸へ戻るより先に、高瀬さんから連絡が入った。 車載の通話システムではなく、相良さんの端末に着信が入る。相良さんは短く確認し、後部座席へ向けて画面を見せた。 葛城静司。 その名前を見るだけで、胃の奥が少し冷える。 律が私を見た。「出ますか」「出ます」 私は一度だけ頷いた。 相良さんが通話を高瀬さん経由の会議回線に切り替えた。録音の確認が入り、葛城も同意した。数秒の確認を待つ間、私はシートに背を預けた。以前なら焦れたはずなのに、今日はそのまま待てた。『九条本邸へ行かれたそうですね』 葛城の声は、いつもと同じく穏やかだった。 穏やかすぎる。「見てたんですか」『いいえ。九条康生が、慌ただしく動き始めました』 それを見ていた、という意味では同じだと思った。 私は窓の外へ視線を戻す。「九条葵さんの、今の居場所は分かったんですか」 前に聞いた、数年前の話を繰り返すつもりはなかった。 回線の向こうで、紙をめくる音がした。『以前お伝えした所在から、記録を追っています』「今は」『確認中です』「便利な言葉ですね」 刺々しくなった。 それでも、葛城は怒らなかった。『あなたにそう言われるのは、仕方がありません』「仕方がないで済ませないでください」 声が少し上がった。 律は止めない。 葛城は数秒黙った。『青嶺療養院という施設があります』 知らない名前だった。 けれど、相良さんの手が前席で止まる。律も、その名に反応した。『表向きは長期療養とリハビリを扱う私設の医療施設です。経営母体は何度か変わっていますが、現在の運営会社の主要取引先に、KMSメディカルサポートが入っている』「KMS」 以前、画面の中で見た名前が戻ってくる。 律が、短く息を逃がした。

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第201話 母の居場所を知る人

     九条本邸の門を出るまで、誰もほとんど口を開かなかった。 膝に置いたバッグが傾いた。持ち直そうとしても、指に余計な力が入った。 車のドアが閉まる音が、やけに近く聞こえた。外の空気は冷たいはずなのに、掌の内側だけが熱い。バッグの持ち手を握りすぎて、指の関節が少し痛んでいた。 本人が答えられる状態でもない。 康生の言葉が、耳の奥に残っている。 葛城が知っていたのは、数年前までの所在だった。療養施設にいるという情報も、まだ確かめられていない。 けれど康生は、今の葵さんの状態を知っているように言った。 本人が答えられないのか。あの人が、答えさせたくないのか。 康隆さんの震えた手を思い出す。二人は、どこまで同じことを知っているのだろう。「朝霧さん」 隣から、律が声をかけた。「……大丈夫です。続けてください」 言い切ると、ページをめくる音だけが残った。誰もすぐには次を口にしない。「呼吸が浅いです」 言われて、ようやく息を深く吸った。 窓ガラスに映る顔から目を逸らし、ゆっくり吐いた。 私は息を整えながら、小さく頭を下げた。「謝ることじゃありません」 さっき、康隆さんにも言われた言葉だった。 同じ言葉なのに、聞こえ方は違った。 私は頭を上げた。律はもうこちらを見ていなかった。窓の外へ視線を戻している。それが少し助かった。 私は窓の外を見る。 九条本邸の塀が後ろへ流れていく。高い塀。古い樹木。磨かれた門。あの内側で、誰かの人生が二十四年、畳まれたままになっているかもしれない。「榊さん」「……どう思いましたか」「康生さんは、嘘をつきましたか」 律は短く間を置き、それから私の方へ顔を向けた。 車の中には、エンジンの低い音と、前席で相良さんが資料ケースを閉じる音だけがあった。「断定はできません」「そう返されると思いました」「では、別の言い方をします」 律は少しだけ

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第200話 母の顔を隠す人

     濃いスーツに、薄い色のネクタイ。葬儀場で見た時と同じように、顔には余計な感情がない。むしろ、この部屋の温度を測りに来た人間のようだった。「兄さん」 康生は、康隆さんを見て柔らかく言った。「お疲れじゃありませんか」 心配する声の形をしていた。 でも、その視線はすぐにテーブルの写真へ落ちた。「古いものを出されたのですね」 康隆さんの顔が強張る。「康生。今は私が招いた客人と話してる」「ですから、心配してるのです。記憶は、年を取るほど都合のいい形に変わります」 康生の目が、私へ向いた。「朝霧さん。あなたも、これ以上曖昧な話に巻き込まれる必要はないでしょう」「巻き込んだのは、どなたですか」 自分でも驚くほど、声が静かだった。 康生は微笑んだ。 笑みの形だけが、きれいだった。「あなたは、いつもそうやって自分が被害者の席に座ろうとする」 康隆さんが、杖を握り直した。 けれど、私は先に口を開いた。「席を用意した覚えはありません」 康生の笑みが消えかけた。「九条葵さんのお子さんは、本当に亡くなったんですか」 康隆さんと顧問弁護士が、同時にこちらを見た。 康隆さんが何か言いかける。康生はその前に、テーブルの資料へ手を伸ばした。 高瀬さんが、すぐに言った。「その資料は、閲覧中の記録物です。九条家側の許可範囲に基づき、こちらで番号を振っています。移動する場合は双方確認のうえでお願いします」 康生の手が止まる。 律は口を挟まなかったが、車椅子をわずかに前へ出した。 康生が資料へ手を伸ばすなら、すぐ止められる位置だった。 その動きだけで、私は質問を続けられた。「記録では、亡くなっています」 康生は、ようやく答えた。「記録では」 私は繰り返した。「あなた自身は、見ましたか」「二十四年前のことです」「見たかどうかだけ、答えてください」 康生の目から、葬儀

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第199話 肖像画の前の康生

     テーブルの上に、古い封筒が置かれた。 封は開いている。中から出されたのは、写真の複写と、行事の名簿のような紙だった。「これは葵が二十歳の頃の写真です。肖像画より少し後のものだ」 康隆さんは、写真をこちらへ滑らせた。 私は手を伸ばしかけて、止めた。 高瀬さんが先に資料番号を読み上げ、撮影の許可を確認する。九条家側の弁護士が頷く。複写のみ。原本の持ち出し不可。閲覧記録に署名。 必要な手続きが済んでから、私は写真を手に取った。 若い女性が庭で笑っていた。 肖像画よりずっと無防備だった。髪が少し乱れていて、片手でスカートの裾を押さえている。隣に立つ誰かの腕が、画面の端に写っている。 その目が、こちらを向いていた。 私は写真をすぐに伏せた。「見ないのですか」 康隆さんが小さく訊いた。「見ました」 答える声が低くなった。「これ以上見たら、今ここで、何かを決めてしまいそうなので」 母だと。 この人の子だと。 決めたくて、決めたくなかった。 証拠より先に心が走れば、また誰かに利用される。そう分かっているのに、写真の中の目は、私の胸の内側へまっすぐ指を入れてくる。 康隆さんの顔がわずかに歪んだ。「葵の子が生きてるかもしれないと、考えたことは」 私は顔を上げた。「一度もなかったんですか」 問いは、思ったより鋭く出た。 康隆さんは答えなかった。 庭の木の葉が、窓の向こうで揺れている。部屋の中には風は入ってこない。なのに、テーブルの上の薄い紙だけが、端を震わせているように見えた。「考えました」 ようやく、康隆さんが言った。「考えた日もあります。葵が何度も、赤ん坊の声がすると言った時期があった。けれど、医師は混乱だと言い、康生は、これ以上刺激するなと言った」「赤ん坊の声」 聞き返すまで、少し間が空いた。「葵さんは、そう言ったんですか」「ええ。でも、出産後の葵は、ひどく不安定でした。事故の後遺症も

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第4話 黒い仮面の当主が、私を見ていた

    「律様、お時間です」  低い声が、扉の外から響いた。  広い執務室の奥で、榊律は窓の外に背を向けて座っていた。  机の上には、如月家に関する調査資料が並んでいる。  その一番上に、朝霧栞の写真があった。  コンビニの制服姿で、視線を逸らすように横を向いている。ひどく疲れた顔をしているのに、背筋だけは真っ直ぐだった。  律は写真の端に指を置いた。  三年前の豪雨の夜。  高架下で膝を抱えていた少女の横顔を、彼は覚えている。  名前を名乗ることも、声をかけることもできなかった。  ただ傘を差し出した。  そのあと彼女がどこへ消えたのかを、ずっと探していた。 「やっと、見つけ

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第3話 三年前に終わった話

     司は廊下の壁際に立ち、こちらを見ていた。  三年前より少し痩せたように見える。  けれど、きちんと整えられた髪も、上質なスーツも、昔と同じだった。  何も変わっていない。  そう思ったのに、胸の奥だけが一瞬、昔の痛みを覚えてしまった。 「栞……」  呼ばれた名が、廊下に落ちる。  私は足を止めなかった。 「話があるんだ」  司が一歩踏み出す。  その指先が、私の袖をかすめた。  反射的に振り払った。乾いた音が、静かな廊下に響く。 「今、あなたと話すことはありません。私は如月家の人間でも、あなたの婚約者でもありません」  司の顔がこわばった。 「栞、俺は……」 「

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第2話 家を救うため、私を差し出すそうです

     病院の個室には、消毒液の匂いと、心電図の小さな音が満ちていた。  ベッドの上の静江さんは、記憶の中の人よりずっと小さくなっていた。  頬は痩せ、手の甲には細い血管が浮いている。酸素マスクの下で、唇だけがかすかに動いた。 「静江さん」  名前を呼ぶと、まぶたが震えた。  ゆっくり開いた目が、私を捉える。  濁りかけた瞳の奥に、ほんの少しだけ昔の光が戻った。  骨ばった手が、シーツの上を探るように動く。点滴のチューブが、白い布団の上でかすかに揺れた。  私は慌てて、その手を両手で包み込んだ。  驚くほど冷たい。  それなのに、弱い指先が私の手を握り返した。 「し……お……り

  • 身代わりで嫁いだ偽令嬢は、怪物当主だけが本当の私を選ぶ   第1話 捨てた父が、深夜のレジに立つ

     午前二時過ぎ。  私を捨てた父が、コンビニのレジの前に立っていた。 「栞、少し付き合え」  自動ドアが閉じる。外の湿った夜気が途切れ、店内には揚げ物の油と、温めすぎたおでんの匂いだけが残った。  夜勤の店員は私一人。レジ横のホットスナックケースが、じり、と小さく音を立てている。  如月隆一。  如月グループの代表で、かつて私が父と呼んでいた人。  三年前、私を家から追い出した男だ。  私はバーコードリーダーを静かに置いた。薄い手袋越しの指先が震えている。それが、何より腹立たしかった。 「……何の御用ですか」 「話がある」 「申し訳ありません。雑誌と公共料金のお支払いでし

Bab Lainnya
Jelajahi dan baca novel bagus secara gratis
Akses gratis ke berbagai novel bagus di aplikasi GoodNovel. Unduh buku yang kamu suka dan baca di mana saja & kapan saja.
Baca buku gratis di Aplikasi
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status